今日は1冊の本のご紹介と、現代アートと美容の関わりについて考察したいと思います。
◆ happening & fluxus
(ハプニング アンド フルクサス)
前衛芸術家としてオノ・ヨーコが”フルクサス”のメンバーであったことを
知ったのは10年ほど前のこと。
言葉の意味はよく分かっていませんでしたが、なぜか言葉の響きに心が惹きつけられ、
気付けば何年も経っていました。
この本には、誰がいつどこでどんなことを行ったかということが記載されており、またマルチプル作品が載っているドキュメントです。
フルクサスはラテン語で「流れる」という意味があり、
1960年代頃に欧米諸国で始まった前衛的なアートムーブメントのことです。
造形的な作品よりもパフォーマンスやイベントを重視したその場限りの表現です。
先日ブックショップのPOSTに伺った際に店主中島さんとお話をさせていただく機会があり、happening & fluxusのことを少し教えて頂きました。
コラムをとても詳細に書かれてらっしゃいますので、ぜひ皆さまにも読んでいただきたいです。
https://fashionpost.jp/journal/think-about/133415
◆日常芸術について
happeningやfluxsusのパフォーマンスアートは
1.時間
2.場所
3.パフォーマーの身体
4.パフォーマーと観客との関係
の4つの基本的な要素を含む状態が全て揃ったときに成立します。
”観客もアートの一部”であるということは大変興味深く、”能動的”に参加することで
芸術というものがより味わい深いものとなるのだと思います。
−日常に芸術を−
先日blogでご紹介したIDÉEの【Life in Art】も日常芸術を提案しているので、
このような流れを汲んだものなのではないかと私は感じています。
◆デュシャンと問い
happening や fluxusの前衛芸術に大きな影響を与え、現代アートの父と言われるマルセル・デュシャン。
デュシャンの魅力は、【観念の芸術=思考を楽しむ手段としてのアート】を革新的に発展させたところにあると思います。【泉】と題された作品は男性用小便器に”R.Mutt”とサインを施したもので、現代アートの出発点として最も重要な作品に位置づけられています。
当たり前にあるものを芸術であると提示したところが、当時は革命的だったのだと思います。
観て楽しむものとしてのアート(網膜的絵画)しかなかった時代に、
それらを批判し、壊し、新しい価値観を表現するということはどれだけ勇気のいることだったでしょう。
デュシャンは常に疑い、なぜ?という問いかけをし続けたそうです。
さらに彼を突き動かしていたものは人並外れた好奇心であると。
現代はなぜ?と思う機会が圧倒的に少ない気がして、この状況を危惧している人も少なくないのではと思います。
◆現代アートから学ぶべき美容の在り方
デュシャンの考えによって、その後に生まれた芸術家たちは自由な発想・価値観を獲得しました。私たちはその考え方に立ち戻り、もっと自由で自分の中にある真理に向き合っていいような気がします。
情報化社会の中では、メディアや人の意見に流されないようにするのは難しいですが、楽しみながら想像のレッスンをするのもいいかもしれません。
「デュシャンが現代に生きていたら何を想いどう表現したのか。」
高柳にそう言われはっとしました。
過去をなぞるだけでなく、そこから何を学び自分に取り込み血液にしていくのかということ。鑑賞で終わらせず、実行に移すこと。自分ごとにすること。
omotesando atelierのコンセプトである「ちょっといいふつう」と、デュシャンの提示した芸術の在り方が重なって見えました。
世の中のふつうは、ふつうではないのではないか?
当たり前にあるものは、実は当たり前ではないのではないか?
自然にやさしく、健やかで豊かな暮らしに繋がるもうひとつの美容の在り方とは?
コロナ禍以降特に感じることですが、”個”よりも”社会”を重視することに意識が向いている方が増えてきたように思います。
美容も社会と繋がっている。
そう考えるだけでわくわくし、やるべきことが厳選され、ご提案していきたいことも研ぎ澄まされてきました。
高柳の監修した余[yo]のシャンプーもじわじわと認知されてきております。
総販売元であるたかくら新産業さんのサイトでもお取扱いが全国に広がってきており嬉しく感じています。
美容を通して社会にできることは何か、ということを日々模索しながらこれからも進めていきたいと思います。
また、あらためて【ちょっといいふつう】についても再考してみたいと思います。
staff 大久